今の中学校がどうなっているのか知らないけど、僕の時代は定期試験などの結果を張り出すということがなかった。もしかしたら他の学校(あるいは他の町村)ではやっていたのかもしれないけれど。
これは成績を張り出すことで、勉強の出来ない子供に劣等感を与えないための配慮だという話を聞いた事がある。
しかしこの配慮には当時も今も納得できない物がある。
勉強の出来ないものが劣等感を味わう機会がないと、その子は成績を上げようとする努力の機会を失うのではないか。教科別に成績が発表されれば、苦手科目をがんばろうとか、得意分野を更にのばそうという意欲が生まれないのではないか。
成績順を発表しない理由が「劣等感を与えないため」というのが事実なのだとしたら、勉強は出来るけど運動能力に劣る子供は劣等感を覚える事は多いのに、優越感を得る機会を失われているのがどうにも納得できない。
短距離走・長距離走の時間計測ならまだいい。能力をのばすためにトレーニングをした結果が、次の計測で結果として反映されるから。
しかし努力して能力を上げても、それが生かされないケースもあった。
僕は札幌市の市立中学校出身なんだけど、この街には体育の授業で「スキー学習」というものがある。
このスキー学習というヤツが、スキーの苦手な子にとっては最悪の授業であった。
シーズン初めにスキーの上手い下手によってA・B・Cのランク分けがなされて、ランク別に授業が進められてしまうのである。無論授業の進め方の問題だけではなく、生徒の安全面も考慮しての事だとは思う物の、このランク分けはシーズン中の移動がなく、たとえ途中で能力が上がったとしても、ワンシーズンを最初に決められたランクで過ごさなければならない。
練習して上手くなれば、次の年度にはランクが上がるかもしれないけれど、スキーはウインタースポーツなので、その努力の結果が報われるまで時間がかかりすぎる。
Cランクに入れられた生徒はランク分けされた時点で劣等感を覚えるばかりでなく、ランクを上げたいという努力とその結果が、他の生徒の目に見える形で反映されにくいのだ。
スキーが上手な子にとっては、下手な子供のレベルに合わせる必要が無いから、この授業の進め方は望ましい事だろう。下手な子供は滑る降りるのにも時間がかかるので、下手なこと一緒にされたら自分が滑る時間が減ってしまう。
ランクわけ授業は効率的で、能力のあるものがより能力を伸ばせるものなので、決して悪い物だとは思わない。しかし優越感や劣等感を覚える機会は、もっと公平に与えられて欲しいと思う。
スキー学習の例を、主要五教科にも当てはめて考えてみる。
勉強のできる生徒は、常に勉強の出来ない生徒に合わせられて進められる授業に満足できているのか。
いくら予習・復習をして理解度を高めても、そうした努力をしない子供に合わせて進められる授業では伸びるものも伸びない。
真剣に学びたいという欲求を持った子供が、そうした欲求を持たない子供と一緒に学習しなければならないのはナンセンスだ。
「子供が劣等感を感じてはいけないから」という大人の配慮は、子供の個性をのばすチャンスを奪っているだけだと思う。
社会に出るまで、劣等感を味わったことのない人間がのうのうと過ごしていける環境なんてほとんどないはず。
優越感を得る喜びも大事だし、劣等感から這い上がる根性を身につけておくことも大切な教育ではないのか。
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