前回に引き続き、虚構新聞のネタの件。
文脈がない、嘘だということがうたわれていない、というのが前者の問題なのであれば、虚構新聞が「これは嘘です」と言っていることが、目にする人に伝わるか、ということの強度が今回の問題の本丸であって、擁護している人はそれが十分だといい、非難している人はそれが不十分だ、と言っているだけの話だろう。※強調部分は引用者による
そうだったのかっ!
僕が問題視しているのかそこ(「これは嘘です」と言っていることが、目にする人に伝わるか、ということの強度)じゃなくて、たとえ嘘だと明記してあろうと、実在人物の名を出して、あたかも彼が「そういう行動を起こした(発言した)」という事を公の場で書くのはNGなんじゃないか、ということなんだよなぁ。
前回のエントリに頂いたブコメのなかに「タレントの北野たけしさんがやっている事はダメなのか」(意訳:はてなブックマーク Junpeconさんのコメント)という意見がありました。僕は見た事がないので断定は出来ないけど、もしたけしさんが実在の政治家の名前を出して、その人がやってもいないことを「やった」事として笑いを取ったとするのならば、やってはいけないことだと思っている。これがジョークとして成立するかどうかは、ネタにされた当人がジョーク、あるいは批判として認めるかどうかであって、場合によっては抗議や訴訟問題に発展する可能性があるんじゃないかな。笑っていられるのは、自分が当事者ではないからなので、自分が当事者となった場合の事を考えて欲しい。自分に対するソレは嫌だけど、赤の他人がどうなろうと知った事じゃない、と言うのならばずいぶんとムシの良い話だ。
多くの人がネタとして理解して笑っていることなんだから、目くじら立てることじゃないだろ、という主張は分からないわけではないけれど、少数の人が不愉快に感じうることなのに、多数が楽しいからいいじゃないか、というのはいじめの構造と同じだと思う。
「嘘と言っているのだから問題ナシ」がエスカレートするのは勘弁願いたいところ。
結局前回とほとんど同じ内容になったけど、大事な事なので、もう一度。
冗談だろうと本気だろうと、他人の行動・発言を捏造してはいけないよ。
あと、あちこちで見られた、虚構新聞批判に対する批判的コメントの代表例として。
騙される人って結局こういう人たちなんだな。読解力がないというか、揶揄くらい分からんと大変だろうな。
別にfoggggyさんに限った事じゃないのだけど、今回の虚構新聞ネタ批判をすると「ネタに騙された人」扱いになるのかが物凄く不思議。他人の読解力のなさじゃなくて、自分のそれを心配した方がいいと思うよ。
あ、こっちも前回と同じ内容になっちゃった。
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