「ネットの最良の部分」はあらゆる言及が可視化されることだと思う

思考途中の記事を叩いてネットの最良の部分を潰してしまう人たち - fromdusktildawnのチャットコメント B?を読んで、数日後です。どうやらタイトルに踊らされてしまったような自分。改めて読み返してみると、内容には同意する部分が多いのだけども、以下、ブックマークコメントでは書ききれなかったタイトルに脊髄反射な自分晒しとして。

だから、この知識のアクティブ化プロセスこそが、現在のネットの最良の部分の一つだし、
そのプロセスがインターネット全体で公開されて行われているからこそ、
多くの人がそのプロセスを通じてアクティブな知識を身につけることができている。

でもプロセスがインターネット全体で公開されているからこそ、結論が出される前にさまざまな言及が行われるわけだし、その言及も含めてより多くの人たちがアクティブな知識を獲得できるのがインターネットの魅力なんだと思うのです。

fromdusktildawnさんのエントリに、次のようなはてなブックマークコメントを書いたところ、お返事を頂きました。

「思考途中だから……」という批判回避が可能になっちゃうから、この意見には反対だなぁ。だったら文末にでも「まとめました、続きも読んでください」と書けばいい。
「思考途中だから……」という批判回避によって生じる害悪は、この「多くの人の知識のアクティブ化機会」を潰してしまう害悪に比べれば、はるかに小さいと思います。
生活保護の不正受給を極限まで減らすために審査基準をむちゃくちゃ厳しくしたら、たしかに「不正受給」という害悪は少なくなりますが、本来受給できるべきなのに受給できない人がたくさん出てしまうという害悪が生じます。
だから、これは、そのどちらの害悪が大きいかという話で、程度問題です。
現状では、「思考途中だから……」という批判回避によって生じる些細な害悪を取り除くために、ネットによる大勢の知識のアクティブ化機会が失われるという酷い害悪が垂れ流されている状態だと思います。
差し引きでは、大きな損失になっているのではないかと。

思考途中に外部からなされる「批判」が、どうして「多くの人の知識のアクティブ化機会」を潰しているのかが分からないです。中には当人が「批判」と勘違いしている単なる罵倒や、本論とは無関係の人格攻撃などの害悪があるけれども、それをフィルタリングするのも発言者の能力じゃないかなぁ。思考途中であろうとなかろうと、誰にでも読める形でネット上にアップした物は「公開された文書」であり、言及の対象となるはず。なされた言及をどのように扱うかは、もちろん被言及者の自由なんだけれども、少なくとも「多くの人の知識のアクティブ化機会」を望んでいるのなら、他者からの言及には耳を傾けた方が良いのではないかと……

個人の感じ方の問題なので、この部分にに深く追求しても仕方がないのだけども、「思考途中だから……」という批判回避によって生じる害悪は、決して「些細」な物ではなく、他者に対する発言機会の牽制は大きな害悪だと思います。

そもそも「思考途中の記事」は何故公開されたのでしょう?

僕がそれを公開するのなら「ホゲホゲについてコレコレこのように考えているのだけれども、どうだろう? コレコレのなかに事実誤認がないだろうか? 反対の現象が確認されるソースはないだろうか?」と思うのですね。あまりに的外れな事を書いていたら、たとえそれが「思考途中」であっても批難されるだろうし、中には罵倒が混じっていても仕方がないか、と思います。インターネットは「馬鹿に見つかった」時代なので、馬鹿からの言及も可視化されちゃっている。でも馬鹿からも言及されるからこそ、自分には思いも付かなかった視点での意見も情報獲得可能なわけですよ。

当人だけの思考により導き出された結論よりも、他者の考え方を取り入れてなされた結論のほうが、当人にとっても有益なんじゃないの?


以上、タイトルに脊髄反射な自分晒しでした。


以下、中身を読んで。

しかし、残念なことに、そういうプロセスを惹起するような良記事を書く作者をバカにしたり、
人格攻撃したりする人たちがいる。

そういう人たちは、他の多くの人々が思考途中の未熟な考えを記事にするのを思いとどまらせてしまう。
実に多くの人が、ネットで理不尽に叩かれるのがイヤだからという理由で、ラフで未熟な思いつきは、記事に書かなくなってしまうのだ。

fromdusktildawnさんが「思考途中の記事を叩いてネットの最良の部分を潰してしまう人たち」の例としてあげているコメント郡の元となったエントリ、Life is beautiful: なぜ1000年に一度の天災を考慮する必要があるのか B?を読んでみると。

うーん。fromdusktildawnさんがどうしてこの記事を「思考途中」と考えたのかが分かりませんでした。わざわざ(合っているかどうかはともかく)数式まで持ち出して自論の裏づけをして、そのほとんどが断定口調で書かれているのだけども……

アレが「思考途中で、プロセスを惹起するような良記事」なのだとしたら、例示されているコメント郡も「後々そのコメントを元に良エントリが書かれるかもしれない」と考えてもよさそうな物なんだけど。

というか、コメント郡の発言主による「いや、あのコメントまだまとまってないまま書いたんだよね」と批判回避が可能になっちゃうよね。

なので、「思考途中」かどうかは関係なく、「気に入らない発言に対して、人格攻撃や中身のない罵倒だけのコメントはするな」という意見としてfromdusktildawnさんの記事に賛成しておきます。

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