「インターネットをもっと効率的に使おう」という主旨だとは思うのだけど。
様々な立場や世代の人からいろいろな意見が出されていて、とっても建設的、こういうのがあるからtwitterはすごいや、と思ったろうか。
私が思ったのは、またかよ、である。車についてtwitterでのみんなのつぶやきを列挙しているが、どこかで見たことのあるような意見ばかりである。
……という書き出しのnonomachon2ndさんの意見も、激しく既視感があるのだけど、この際それは置いておく。
たとえば自分が管理するスペース(自分のブログのコメント欄など)では「有意義で建設的な場にしたいので、同じ事を何度も書くのは禁止です。 何度も同じような事が書かれた場合、ひとつに集約して削除します!」というのはアリだと思う。
だけど、自分の管理外の場で、なんの示し合わせもしていない各ユーザーが「同じような意見」を主張することが、そんなに糾弾すべきことなんだろうか。
nonomachon2ndさんは(素人は)どうでもいい話だけにどうでもいいことをたらたらと垂れ流す
、素人はもっと口をつつしめ
というのだけど、ネット(特にブログやTwitterなど)は、接続環境さえ持っていれば誰でも平等に意見や疑問を口にすることが出来て、それを読むことが出来るのが面白いのではないか?
もちろん「面白い」は個人の感覚なので、「いや、そんなシロートのどうでも良い根拠の無い愚痴なんか、オレ見たくないもんね」という人もいるだろう。だけど、そうした「素人」たちに向けて「すみわけ」を求めるのは筋ちがいだ。
素人の意見なんかいらない、というのならば、その人自身が「素人の参加するコミュニティ」を見なければ済むはず。
「素人」たちが、他の参加者の間で既に成立しているローカルルールを無視して、自分勝手な激しく既出意見を書き連ねるのならばともかくも、その「素人」が自分のアカウントスペースでつぶやく意見が気に入らないのなら、観測対象(TL)から外せばいいだろう。その情報について検索したときの邪魔になる、という不満はあるかもしれないけれど、言及なしのRT(転載)でもなければ、それは同じような意見がたくさんの人から出されている=多数派の意見という証になるわけで、これがまったくの無駄な情報だとは思えない。
同じことは二度と書くんじゃねぇよという仕組み
は、それを求める人が自分の管理する場に作れば良いのであって、一閲覧者に過ぎないユーザーが他者に求めるものではないと思った。
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